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今なぜ「YBA」なのか?どん底のロンドンを塗り替えた反骨精神と、2026年のロンドンのアーティスト事情

今月、東京の国立新美術館でYBAの展覧会がオープンした。

 YBAとは「Young British Artists」の略で主に90年代のロンドンで頭角を現した若手アーティストたちのことを指す。


現在、日本のみならず世界中でYBAの人気が再燃している。例えば、数年間に及ぶ大規模改修に入ったパリのポンピドゥー・センター。その改修前最後を飾る大役を務めたのも、YBAの一員であるヴォルフガング・ティルマンズだった。


 

では、なぜ今またYBAなのか。そして現在のロンドン・アートシーンはどうなっているのか。今回はそれらを紹介したい。

 
「どん底」から生まれたパンク精神
 

まず、なぜYBAが生まれたのか。それは当時のイギリス経済と深く紐付いている。

 

当時のロンドンは経済が停滞し、若手アーティストが既存のギャラリーで扱われるチャンスはほぼゼロだった。そんな状況下の1988年、ロンドンの美大ゴールドスミス・カレッジの学生だったデミアン・ハーストが「誰も展示してくれないなら、自分たちでやる」というパンク精神で、廃墟となった港湾倉庫を借りて開催したのが『Freeze』展だ。これがすべての象徴的なスタートとなった。

 

https://entergallery.com/blogs/news/celebrating-the-legacy-of-freeze-exhibition?srsltid=AfmBOopbdI1s26-HPOksrmu4Iwk7YGnBxEOh-0CH4ZK9kXBm07q2SUe-

ダミアン・ハーストがいたロンドン南東部にある美大の名門「ゴールドスミス・カレッジ」はYBAのカルチャーの中で大きい存在だ。ここは他の美大(ロンドンにある他の美大RCAやUAL)とは違い、「ジャンルの壁」を壊した自由な教育を行っていた。その土壌が、ハーストの「サメのホルマリン漬け」やトレイシー・エミンの「自分のベッド」といった、従来の枠に収まらない表現を生み出したといえる。

彼らが凄かったのは、ただ作品を作るだけでなく、強烈な「起業家精神」を持っていたことだ。狭いコミュニティで満足せず、ロンドン屈指のコレクターであるチャールズ・サーチ(ロンドンの中心部でサーチギャラリーを運営)を自分たちの展覧会に招待するなど、自らの手でアートの本流へと這い上がっていった。

この「不景気を打破する、あるいは無視して突っ走る」姿勢は、現代の閉塞感がある社会にも通じるものがある。私たちに、一種の反骨精神のようなエネルギーを与えてくれるからこそ、今また日本で彼らが紹介される意味があるのかもしれない。

 

ジェントリフィケーションという光と影

 

一方で、現在のロンドンに目を向けると、アーティストを取り巻く環境は激変している。

 

かつてYBAが拠点にしていた東ロンドンは、「貧困・危険」なエリアだった。だからこそ、捨て置かれた工場や倉庫を格安でスタジオや会場として利用できた。特にショーディッチ(Shoreditch)やホクストン(Hoxton)は規制も緩く、夜な夜なパーティーとアートが融合する混沌としたエネルギーに満ちていた。

しかし、今の東ロンドンは全く違う。ジェントリフィケーション(都市の高級化)が進み、ボロボロの倉庫は今や高級マンションやIT企業のオフィスに様変わりした。一人暮らしをしようものなら、月の家賃は50万円を超えるだろう。今のショーディッチにはAesopやLe Laboといった洗練されたショップが並び、観光客と富裕層が集まる「きれいなクリエイティブ地区」になった(もちろん、これらのブランドが悪いわけではなく、あくまで象徴として)。

 

ニューヨークのブルックリンもそうだが、アーティストがエリアをクールにした結果、価値が上がりし、皮肉にもアーティスト本人が家賃を払えず住めなくなる。そんな現象が起きている。さらに、イギリス政府による大学への補助金削減も追い打ちをかけている。授業料は大幅に上がり、留学生に至ってはイギリス国民の2倍。もはや富裕層しか美大に行けなくなっているのが実情だ。生活費も異常に高く、ロンドンでアーティストとして生きるハードルはかつてないほど高い。

 

 

今、アーティストはどこにいるのか?

 

それでも、アーティストたちは場所を変えながら活動をしている。現在の主な拠点は以下の4つのエリアだ。

 

ハックニー・ウィック (Hackney Wick)

ショーディッチのさらに東。ここも開発の波が来ているが、まだ「アーティストスタジオ(大きな建物を区切って貸し出すシェアスタジオ)」が残っている。V&A Eastからも近いため、今後さらに変化しそうだ。

 

デプトフォード (Deptford) & ニュー・クロス (New Cross)

ロンドン南東部。ゴールドスミスのお膝元であり、今も若手や学生が多く活気があるエリア。

 

ウォルサムストウ (Walthamstow)

ロンドン北東部。まだ地価が比較的安く、制作拠点を求める層が集まっている。

 

ペッカム (Peckham)

南ロンドンの中心。アフリカ系コミュニティが盛んな場所だが、UAL(ロンドン芸術大学)のキャンバーウェル・キャンパスに近く、ギャラリーやルーフトップバーが集まる最もエネルギッシュな場所の一つだ。

 
 

 

 

私自身も現在、南ロンドンにある「ASC studio」というコミュニティのスタジオを借りて作品を作っている。家賃が高いロンドンでは、住居とは別にこうしたスタジオを借りて、友人とシェアするのが一般的だ。10畳ほどのスペースをシェアして、月£150(約3万円)ほど。

 

こうしたコミュニティでは、公募展や「Open Studio(制作場所を一般公開するイベント)」が開催され、他のアーティストと情報交換できる貴重な場になっている。

 

 

変わらない「作る理由」 


街をクールに変え、やがてその熱狂によって居場所を追われる――。ロンドンのアーティストが辿った軌跡は、アートと都市の皮肉な関係を物語っている。かつての混沌とした東ロンドンはもうないが、その精神は形を変え、今も南へ、あるいはさらに東へと移動し続けている。


経済の停滞をエネルギーに変えたYBAの反骨精神は、今の私たちにこそ必要な「突破口」を教えてくれる気がする。

そして彼らが証明したのは、システムの外側にこそ新しい価値があるということだ。かつてYBAが廃倉庫から世界を塗り替えたように、時代が変わってもアーティストの「作る理由」は変わらない。街がどれほど洗練されても、新しい表現は生まれ続けていくのだろう。